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ご挨拶

「日々の糧」は朝礼を編集した講話になります。順次更新していきますので、お楽しみください。


 行く春や 振分神も 肩すぎぬ (夏目 漱石)

 まだまだ春は浅いのですが、卒業生の皆さんを送り出す時季とあれば、季語の多少のずれよりも「行く春」という語の響きに免じて、こうした一句を掲げても多めに見ていただけるでしょう。振分髪も肩すぎる年頃となって、皆さんもいよいよ卒業されるのですね。ほんとうにおめでとう。そして旅立ちのときにあたって、皆さんに語りたいことを素直にそのまま記すことにしましょう。
 大人としてのやさしさを身につけた人におなりなさい。思いっきりやさしい人でありなさい。本当のやさしさは厳しさを含んでいるのだというような思いは不要です。そんな台詞は、実は、やさしくない人が自分の感情のままに行動したときの言い訳にすぎないのです。そんな言い訳が上手になるよりも、人にやさしくあることが上手な人におなりなさい。そうすれば必要な厳しさは家来のようにしずしずと後ろからついてきます。やさしい人になるために、人のかなしみをしみじみ味わえる人でありなさい。出会う人の、そのときその場の様子だけではなく、その人がそれまで担って来たかなしみも見ることの出来る人でありなさい。そうすれば人を見つめる眼差しはおのずからやさしいものとなるでしょう。「人間の尊厳のために」というこの学園のモットーも、ずいぶん堅苦しく響くかもしれませんが、実は人のかなしみを見つめ、それを共に担う人でありなさい、ということにほかならないのです。
 人のかなしみには二つの種類があります。一つは、人はだれでも相対の中で生きているということです。相対は比較競争として姿を現します。生まれたときの体重からはじまって、バレンタインのチョコレートの数と成績表、そして社会的地位と収穫を経て、争議の参列者の人数にいたるまで、比較との競争の波にのみこまれて生きゆくのです。優劣、上下、前後が定まれば、つぎは誇りと嫉妬、傲慢と卑屈の出番です。そんな比較と競争の中で傷ついてゆくかなしみをみんな背負っているのです。もう一つのかなしみは、人はみんな孤独であるということです。友人や恋人がいないから孤独なのではなくて、孤独だからこそ友人や恋人を欲するのです。
 この二つのかなしみを同時に救うもの、それを愛といいます。「愛はねたまず、誇らず、たかぶらない」また「兄弟を愛する者は光の中にいる」と聖書にあるとおりです。愛あるところ比較競争の醜い争いと孤独は姿を消します。だから、かなしみに疲れ果てた人々に愛深い手を差し伸べることのできる者となりなさい。人の心に届く言葉を語れる者となりなさい。そのために一生懸命勉強しなさい。勉強はノーベル賞をとるためや自慢するためにするものではなくて、愛深い者となるためのものなのです。どうか愛深い人になってください。本校の校訓である「高い人格」も「広い教養」も「強い責任感」も愛がなければ無に等しいのです。
 春を惜しむ心が「行く春」という季語を生み出しました。日本の心のなんと美しいことでしょう。春を惜しむように愛をもって人を惜しむ人は、きっと皆さんを心やさしい、そして美しい女性にしてくれるでしょう。

 くらべこし 振分髪も肩すぎぬ 君ならずして誰かあぐべき

『伊勢物語』の「筒井筒」の段に見える有名な歌ですが、そんな素敵な「君」との出会いも、心やさしい愛深い人ならばこそです。
 卒業される皆さんを惜しみつつ、その前途に愛の源である神の祝福が豊かにありますように、お祈りいたします。

2010年03月01日[169]

和歌山信愛女子短期大学

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